【推し、燃ゆ】を読む

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芥川賞受賞作品が全文掲載の場合のみ「文藝春秋」を購入して読む。
半ばまで読んだ状態で「つまらない!」と投げ出した。
文藝賞受賞「かか」は三島由紀夫賞もダブルで受賞した。三島由紀夫賞は最年少での受賞。
芥川賞受賞は綿矢りさ、金原ひとみに次ぐ史上三番目の受賞とか。
このままの流れでゆくと、中学生芥川賞作家誕生も時間の問題でしょう。
文藝春秋を読みたいのは選評が読みたいから。
つまらないことだが、自分の感じた感想と選考委員とが一致すると何故か「そうだろう!」などと得心がいく。
候補作五作の内、四作が少女を主人公にしたり、重要なモチーフとして使ったりしているそうだ。
松浦寿輝氏は、性別、年代共に、かけ離れ、かろうじて日本人だけが共通点と言える。と書いているが、私は辛うじて性別も一致している。
「推し」などというたちまち古びてしまいかねない内輪の隠語めいた言葉が、題名をはじめ嫌というほど繰り返されているのが気にならないでもないが、しかし、ひょっとしたらこの小説が広く読まれることで、一過性のジャーゴンであったはずのものも一般化し、やがては広辞苑に載ったりするようになるのかもしれない。
アイドルに嵌ることを「推し」ということは全く知らなかった。映画化なども視野に入るので、今年の新語にも入るのだろうか?
というか、実は、若者にはもう既知の言葉なのだろうか?
途中で投げ出してしまっては、せっかく購入した雑誌に対して、作者を選ばれた選者の選評に対しても失礼ではないか。
再読して、全文読んでもやはり私の中にすんなり入ってこなければ仕方ない。
再読しながら「かか」の宇佐見語彙を思い出していた。吉田修一氏の評が一番納得感が強かった。
『残念ながら目新しさを感じないまま読み終えてしまった』と書いていた。
多分、全体に抜きんでている秀作がなかったのではないか。
「発達障害」との評も出ているが、私はそこまでではないと思う。
忘れっぽくて、責任感が欠如している、少々だらしないところのある「あたし」が後半にきて「あたし」目線が
宇佐美りん目線の言葉に様代わりしてくる。『猫のにいにい鳴いている声が薄く聞こえた』
『文章が浮かばないときは、散歩に限る。小さな鞄ひとつだけ持って外に出ると晴れ上がった空の青さにまぶたの裏が点滅した』
「あたし」の言葉から、作者自身の急に文章が熟練の上手さに代わってなんというか読者は「げんなり」してしまう。
私のちょっと変な感想は他の人には理解できないだろうと思う。作者の言葉になった途端に「あかり」が共感できる対象になってしまう。

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