【101年目の孤独】

101年目の孤独.JPG

2013年発行。図書館本にしては最新刊の本のように
綺麗なままになっている。
高橋源一郎さんの著書はここ十年以上は読んでいない。
正確に言えば「小説の書き方」と言った本は読んでいる。
この本は、読んで「面白かった」とか「哀しかった」
とかいった感想を求めてはいなくて、読んでもらう
こと、そのことが目的で雑誌に断片的に掲載された
ものを纏められたのだと思う。陽の目を見ないと
俗に言われる場所で、不自由な体で、すぐそこに
迫りくる死と戦う人々。とりわけ幼い子どもたちの
現実には言葉を選べないほど、一冊の図書を前にして
立ち尽くすしか術(すべ)がない。
ダウン症の子どもたちのための「絵画教室」

身体障害者の劇団「態変」
非電化工房生活を運営する「哲学者」
南アルプス子どもの村小学校
子どもホスピス マーチンハウスの現状など
雑誌の取材として訪れた場所で氏が身をもって
感じ得た「物語」と言える。単なるルポの枠を
声て読者に染みわたってくる。
身体障害者の金さんは、大阪で生まれた在日二世だ。
三歳の時にポリオに罹り、四年間の入院生活を送る。
退院後は義務教育をも行う施設に入所する。
施設を出ると行き場が無いのが現状だ。
「ボランティア」でもない「家族」でもない
「友人関係」と称する人々に因って、金さんは舞台に
立つ。障害もありのまま、こういう一人の人間の
真っ正直な在り様を表現する。

山梨県の腫れた日には富士山が望める竜王駅に
降り立つと「宿題」「試験」「チャイム」
「通信簿」「先生」「廊下」「入学式」
「卒業式」これらは全て無い。或いはいない。
でも一つだけ「楽しいこと」がたくさんある学校。

「子どもホスピス」に行きたいと思った理由
高橋さんには次男が急逝脳炎で緊急入院する。
二歳の終わりであったと書いている。
「風邪」との診断だったが帰宅してから
麻痺が広がり、意識が朦朧としたと。
「死を受け入れる五つの段階」を経験したと。
否認⇒何故、彼が・・・
怒り⇒彼には何の咎もないのに
取引⇒わたしはどうなってもいいから
抑鬱⇒もう耐えられない
受容⇒この事実を受けとけ、彼と共に生きてゆく
次男が死ぬまで身動きが出来ず、言葉も話せない
状態になっても、最後まで、支えて生きる。
言葉にしてしまえば数行になるだけだが、何度も
葛藤、逡巡があったことだろう。
マーチン・ハウスには教会組織に所属しない
チャプレンと呼ばれるマークと言う聖職者が居る。

山口県上関町祝(いわい)島の老人だけになった
島で行われる「老人 原発新設反対デモ」の取材

これで終わりではなくて、私から見たら「エッ!!」
と思う事が書かれているのだ。
かつて「おじさん」の愛玩物として「ダッチワイフ」と
いう人形があった「大人のおもちゃ」とも言った。
それを進化させ「ラブドール」を作ることに精魂込めた
オリエント工業の進化の歴史と需要の拡大が書かれている。
様々な理由で人間に近いけれど、だけど、人間そっくりに
してしまうと「死体」に近くなるので、肌、化粧等々
衣装も凝り、「彼女」の為の家を借りたり、或いは
同棲したり、男の生と性生活は充足されるものになった。
奥さんが居ても、風俗はつまらない世俗感情が伴う。
賛否両論と言う風に言えば、私には理解はできない世界だ。
家の玄関を一歩出たら、素知らぬ顔で社会に生きて、
一歩、家に守られた場所では人形(当然名前は付いている)
相手にセックスを謳歌する。それらの取材で高橋さんは
「愛のごとく」とタイトルを付けた。
これらは「小説」とも違う「ルポ」とも一寸違う。
よの中の見えない場所を切り取ったものなのだ。

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