【さよなら平成、さよなら昭和、さよなら橋本治】

1月29日に作家 橋本 治さんが亡くなった。
2月1日朝日新聞で作家 松家仁之さんが「橋本治さんを悼む」と題して記事が載っていた。
2月1日NHK「すっぴん」金曜日の「源ちゃんの現代国語」で、高橋源一郎さんが思い出を語っていた。
「すっぴん」はリアルタイムでは聴けないので、「NHKラジオ らじる★らじる」で聴いている。
源ちゃん(高橋源一郎さん)は3歳違いで年齢が近い。私も源ちゃんと橋本さんの中間ほどの年齢。
源ちゃんは橋本さんの文学と評論、日本語への造詣の広さと深さに理解と憧憬をしていた。
取り上げたのは、『草薙の剣』(著・橋本治)。
源一郎さんが、巨人・橋本治さんを追悼します。
この本は、どこにでもいる普通の人たちのくらしを取り上げているんだけど取り上げた「草薙の剣」は小説家デビュー四十年の記念碑的な作品となった。
野間文芸賞を最後の贈り物のように受け取ったにも係わらず、」授賞式には出席できなかった。
読んでいるうちに、橋本さんの書く、“普通の人たち”が、いとおしく思えてくるんだよね。
橋本さんは、昭和以降の作家で、いちばん“日本語”について考えた人だと思う。
にもかかわらず、あんなすばらしい作家について論じる人が少なかった。
昭和の終わりに、昭和を代表する人たちが次々と亡くなって時代の終わりを感じたように
平成の終わりにも、亡くなる人がいる。

なんで僕はこんなところにいるんだろう? 日本人の心の百年を辿る壮大な長篇小説。
62歳から12歳まで、10歳ずつ年の違う6人の男たちを主人公に、その父母や祖父母まで遡る
それぞれの人生を描いて、敗戦、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブル崩壊、
二つの大震災を生きた日本人の軌跡を辿る。戦後日本の行き着いた先である現代のありようを
根底から問い直す、畢生の長篇小説。作家デビュー40周年記念作品。
6人の登場人物の最後に橋本さん自身も書き終えて任を終えたごとくに平成最後を待つように亡くなった。
デビュー当時は「桃尻娘」というスタイルにどうも入っていけなくて橋本さんは視野の外だった。
が、「巡礼」が上梓された時にはようやく手の届く範囲に橋本さんが近づいてきた。
でも、多分、それ一冊だった・・・
文学者や俳優などは亡くなって、再び我々の前に過去を再登場させてくれるようだ。
90%のほとんど、市井にそっと生きている私やあなたは亡くなれば、それで終わりだけど・・・
源ちゃんが語っていた。読売新聞の記者の人が記事を全て検索して「橋本治」の記事を探したが
一つも無かったと。そして所謂「文壇」からも無視さていた感があったと。
「草薙の剣」は是非読んでみたい。が、今、ネットでも売り切れ状態だとか。
さよなら平成、さよなら昭和、さよなら橋本治
すっぴんのこの日のテーマをそのまま頂きました。
2月4日朝日新聞「天声人語」
画像 丹沢の山々に抱かれた神奈川県松田町の寄地区では、いま2万本もの蝋梅が咲きほこる。
13年前、寄中学校の生徒が
卒業記念に250本の苗を
植えたのが始まりだ。
寄は(やどりき)とルビが
振ってあるが、松田町寄は
やどりきと読める!
懐かしいと思った。
2013年2月9日に
民宿「せど」に宿泊して
翌日鍋割山荘から
塔ノ岳へ。
屋根超しに広がっていた
蝋梅の木
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丹沢山からの富士山

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当時、山の会に入会した友人(左)とその友人(右)真ん中は私。
右端のHさんは癌でもう亡くなった。
初日は大野山を歩き、「せど」に泊まり、鍋割山荘の名物「鍋焼きうどん」を食べ、尊仏山荘に泊まった。
3日間共晴天に恵まれて楽しかった。丹澤山から見た富士山
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尊仏山荘名物猫「みゃ~君」  みゃ~君ももう亡くなってしまった
何を見ても、何を聴いても何かを思い出す。もはや思い出に生きているのか!?

この記事へのコメント

2019年02月05日 08:40
お早うございます。橋本治さん、初めて聞きました。桃尻娘という題名だけは聞いたような気がします。のりこさんの小説に対する造詣の深さがうかがわれます。丹沢にも登られたことがあるのですね。丹沢は私の地元なので、塔ノ岳には毎年2,3回は行っていたのですが、最近は頂上までの道のりが長く感じるようになってしまいました。
2019年02月06日 04:03
山歩様
いつも気持玉ありがとうございます。
山歩様の記事を拝読していると丹沢のお近くなのだと、羨ましく思っていました。
新潟からは遠いのですが、丹沢全体の雄大さが好きで、何回が行っています。
小屋も多いし、西丹沢からの縦走、富士山の眺めなど見所も多くあり好きです。
加齢と共に、確かに道のりは長く感じますね。今後共よろしくです。