【角幡 唯介「探検家の憂鬱」】

先回7月23日に書いた記事以来、いろいろと「文章を書くこと」に関して、
失望とショックとで自虐の暗い長いトンネルに入ったまま、抜け出すことが出来ないでいた。
文章教室指導者からの対応で、誰も気付かないまま、私ひとりが勝手に「傷ついた」との
思い込みの坩堝に嵌っていたのだ。
落ち込んでいても仕方ない。DELLのマシンは見事に内蔵電池が入り、サポートを受けて
復活したのだから、私も立ち直らなくては!!
画像金曜日出勤時、バスを降りると写真のような
最賃法の改正を訴えていた。以前に勤めていた処から比べると、今は「派遣」なので、派遣元のピンハネ?自給200円安くなっている。
でも、この年齢でパソコンを使った事務の仕事に就けるのはありがたいと思う。
さて、現在の私をなんとか「元気」へと導いている源は「角幡 唯介」だ。





画像「角幡 唯介」と言えば、読んだことはなくとも「空白の五マイル」というなんとも魅力的なタイトルの著者として認識はしていた程度だった。
山が好きという端っこにいる私は世界の○○峰とか探検などは丸で縁のない世界で本を読もうなどとは思わなかった。そんな意識を変えてくれたのは偶然観たNHK「ETV特集「極夜・記憶の彼方へ~角幡 唯介の旅」だった。
岩壁をよじ登ったり、海流を登ったり、下ったりではない「極夜」を歩くという探検に犬を道連れに歩く。
カメラは途中で撤退したNHKから受け取ったカメラを角幡 唯介が照らす。
GPSは持たない。六分儀を頼りにしていたが、それも強風で吹き飛ばされてしまう。
事前にデポした食料も、熊等に食われないように最善を尽くしたのに、辿り着くと見事に荒されてしまっていた。
登山でも冒険でもない「探検」が意味することの根っこに惚れこんでしまったといえた。
すぐさま「極夜」の図書を求めたのですが、いきなり「現在」に辿り着くのではなく、角幡 唯介の人となりを一から辿るべくまずはエッセイから「探検家の憂鬱」<「探検家、36歳の憂鬱」を文庫改題、増補>
早稲田大学に入学、探検部への入部から卒業して就職の道を選ばずに探検を継続する。
が、その後朝日新聞社に入社して富山支局の記者となる。が、5年で辞めて、その後は、探検と
ノンフィクション作家として現在に至る。
探検家は文章が上手くない人も多いと思うのだが、硬くもなく、飾らなくて、心地よい文章で上手い!
『読書は代理体験。読んだあとから忘れたって良い』と誰が言ったかは忘れたが、代理体験なら
自分と一番遠い処に生きている体験を「代理体験」することが一番ベストだ。
角幡 唯介の出発から、私も出発して「極夜」はしばらくは本棚に鎮座して私が追いつくのを待ってもらう。
NHKのこの番組はDVDに落としたので、時折「元気」をもうらう為に見る。
登山や冒険は決して特別なことではなく、それは自然の最先端で生感覚を取り戻そうという試みに過ぎない。自然の奥深くに入り込むと、自然は必ず冒険者の意図を越えて振る舞い、冒険者をあらゆる局面で窮地に陥れる。その度に冒険者は嵐が止んでくれとか、シロクマよどこかに去ってくれなどと怯える。自然の前に身体を曝け出すと、人は自然に対し畏れ、祈ることしかできないのだ。そしてそれ以上に自然が乱暴な振る舞いをすると、冒険者は必然的に死を意識するし、そのような死が近くにあるような状況に煩雑に身を置いていると、身体によって得られる生感覚は都市生活では体験のできないレベルに高められる。時には自分の生すら突き放して見るような、明らかに危険な状況なのにそれを冷静に見つめている自分がいたりする。最終的に冒険者は生きて都市に戻るが、当然のように生感覚の失われた日常生活に物足りなさを感じるため、どうしても再び冒険に旅立ってしまうのである。
P163に書いているがこれこそが「探検家の憂鬱」なのではないのか。

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