【楽園】を観る&【犯罪小説集】を読む

7f3c9c74322c56de1ef1af451ce4818f.jpg映画「楽園」を観た。吉田修一原作の映画は「悪人」を観た時に、ただ、ただ犯罪を描くのではなく、犯罪に染まらなければならなかった「人間」を見つめる姿勢に惹かれた。
「楽園」は「犯罪小説集」という角川から出版され、既に文庫化もされている。
私がネット書店で購入した文庫には、一番外側に「犯罪小説集」 「映画化原作」と上部に書かれていて、杉咲 花・綾野 剛・佐藤浩市の顔写真が中心にあり、下部に「映画 楽園」と書かれている。
そのカバーを捲ると、真っ黒な地に「犯罪小説集」 吉田修一 と縦書きで書かれている。
「青田Y字路」「曼殊姫午睡」「百家(ばから)餓鬼」「万屋善次郎」「白球白蛇伝」
内容は実際に過去に起きた事件を参考にして書かれているという。
まず、映画を観てから、原作になった「青田Y字路」「万屋善次郎」だけを読んだ。
いつも思うことだが、映画というのは監督がオリジナルの原案+脚本の場合は比べるべく原作がないので、監督の訴えたかったことは映画から吸い上げるしかない。が、原作がある場合は、監督は、まず原作に、俗にいう「惚れて」映画化にした。と、素人は思う。が同じ材料でも、本は、手段として「文字」しかない。だが、映画は、何処を集中して描くのか?誰が演じるのか?等々、原作を忠実になぞるとは限らない。まず、この作品は「犯罪小説集」から映画タイトルは「楽園」とガラリと変わってしまった。
つまり、私の全くの独断と偏見に依る意見だが、原作の吉田修一は「犯人」を描きたかったのではなく、未解決事件もある。「事件」「犯人」「犯罪」それらの言葉で表される「犯罪」という言葉に集中して上梓したと思う。が、映画は、何故、こうも対比的な「楽園」に設定されたのか?
Y字路から起こった二つの事件、そして容疑者の青年、傷ついた少女、追い込まれる男……三人の運命が繋がるとき、物語は衝撃のラストへと導かれる。彼らが下した決断とは─。
楽園”を求める私たちに、突き付けられる驚愕の真実とは─
「犯罪」の対比に「楽園」がある訳ではなくて、と思うが。当初、犯罪など犯していない豪士と善次郎は、或る意味、閉ざされた「村」によって、異色を排除するかのごとくに村人によって、自滅しか選ぶ方法がなかった~~
観終えて、読み終えて、空しくて、自分の心が弱い時は切ない。でも、フィクションで表現される以前に、こうした犯罪が実際に世の中に起きていることが怖い。
楽園.JPG

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