【風化する女】を読む

先日「雪子さんの足音」を読んだが、木村紅美さんのデビュー作であり、
文学界新人賞受賞作品である「風化する女」を読んだ。
「風化する女」 木村紅美 文藝春秋 図書館本
『れい子さんは一人ぼっちで死んでいった。
会社を三日も無断欠勤していたのを不審に思った上司が、
管理人さんに頼んでアパートの鍵をあけてもらったところ、
ふとんの中で、すでに硬くなっていたそうである。
れい子さんは四十三歳で結婚はしていなかった。』
という書き出しで始まる、結婚歴なし、中年女性の孤独死から
「私」がれい子さんの生前の生活に入り込んでいく様子が書かれている。
「私」はれい子さんとは課が違う。
時々ランチで訪れる店で、珍しく満席の時に、れい子さんと相席をした。
それを機会に話をするようになり、見た目の地味さ以外にもれい子さんの
隠された生活、性格に話が合うようになる。
れい子さんの実家は鳥取県で、喪主はお父さん。それも義理の父とか。
複雑な家庭環境のせいで、ほとんど実家に帰ることはなかった。
「私」は既にフリーライターの夫がいて、今年のハワイへの社員旅行を終えたら
退職する予定だった。社内旅行はハワイと決まっているのだが、れい子さんは
一度も参加したことがなかった。が、今年は「私」と同室にしたということで、
れい子さんも行くことになって、楽しみにしていたところだった。
れい子さんの課員の女性がアパートの遺品整理を頼まれたのだが、「私」が
れい子さんと親しかったという理由で頼まれて、「私」はれい子さんの
アパートの遺品整理をする。毎年、北海道へ旅行をしていたれい子さんは
旅行鞄の中には、勝負下着というスケスケの赤と黒の下着が詰め込まれていた。
部屋には、バンダナを蒔いた男と一緒の写真があったり、送受信を調べると
「れい子です」「れい子です」というタイトルの送信履歴だけが並んでいる。
好きな男がいたのだろうか?会社の引き出しには北海道への切符があり、
「私」はその切符を使って北海道へ向かう。シンガーソングライターの
里中英世のアルバム発売の記念ライヴへ行く。当日券はないということで店には
入ることが出来ずにすごすごと引き返す。
お腹の大きな若い妻がいた。片思いだったのだろうか?
れい子さんと里中さんとの写真の裏に口紅でさよならと書いて店の
レターボックスに入れて立ち去る。
里中夫婦は誰が放り込んでいったのかと、びっくりすることだろう。
もしかしたら、けんかすることになるかもしれない。
いや、さよならされたのがわかって、ほっとするのかもしれない。
目をこすると、鈍色の鉛のシルエットが浮かび上がる。
寒さにマフラーをかきあわせながら、「私」はまた、彼女もきっと
この景色を眺めていたことがあるはずだと思って、れい子さんの
存在を感じていた。
恋は成就せず、結婚歴もなく、友人らしい友人は「私」くらい。
その果てに孤独死をしたれい子さん。でも、決して不幸せに塗れていた訳では
なかったかもしれないれい子さん。
もう少し違うタイトルが良かったのでは?

もう一作品「海行き」が納められている。
大学生活の男・女・女の仲良し三人組は、恋人未満、友人以上の関係であった。
大学生活⇒卒業後の生活⇒更に十年が過ぎという群像劇の様相を呈している。
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8月24日 三越前に”おめかしライオン”




【立山 雄山へ】

8月4日(日) ツアー「立山 雄山」20名
新潟駅南口4:30乗車(他各地で乗車)
県外の山へのトレッキングは平成29年9月 長野県 黒姫山
以来だ。車を廃車して以来、脚が遠のいてしまった。
たまたま、ツアー会社の広告を見て、日曜日の日帰り
ということで参加した。立山は、歩くコースは多岐に渡るので、
過去には何度も、行っている。
単独が多いが、山の仲間等でも行っている。
室堂まではツアー会社のバスで行く。
室堂≒10:20
一ノ越山荘前でお昼~雄山
何年も山歩きらしい歩きから隔たっているので、
行ける処までで良いと思っていた。
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晴天の日曜日とあって室堂~一ノ越~雄山は大行列
小学生の遠足の子供達、先生、家族連れ、若者のグループ・・・
こうした混雑日には中高年は少なかった。
残っている雪渓が解け始めた処には夏の花
チングルマ・ウサギギク・ハクサンイチゲ・
ミヤマキンポウゲ・などなど・・・
一ノ越からは一人で一足先に出発したのだが、
雄山の山頂直下でゆっくり下山する。
添乗員には、何度も来ているので、単独行動しますと断った。
室堂へ近づく頃にはゴロゴロと雷が遠くで鳴っていたが、雨には当たらずに済んだ。
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ウサギギク.jpg

ハクサンイチゲ.jpg
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以前に行った内蔵助山荘方面や、ザラ峠を通り五色ケ原など、或いは
奥大日岳から称名滝など、ゆっくり行ってみたい。
行く回数は減っても、私はやはり単独でゆっくりが好きだなぁ~
道中にはバスで隣になった人とのお喋りなど、ここだけの話ですが(^_-)-☆
少々苦痛だ。その方がどういう人かにもよるのだが、親しくない人との
お喋りは苦手なのだ。

【雪子さんの足音】を読む

「雪子さんの足音」 木村紅美 講談社
映画化された情報を得て(新潟では8月31日公開)読んだ。
木村紅美さんも初めて読む。
年齢を知り、正直驚いた。
私の娘世代の人だった。
とすると、作中の小野田さん視線から母世代の雪子さんを
書いたということになり、「老女」なのか?
「老嬢」なのか?雪子さん像がいまいち、掴めなかった
理由は、作者の年代と雪子さん年代とのギャップであった。
と、決めつけることは、本当は正しくはないのかもしれないが、
若い人を書けるのが若い人、老人を書けるのが老人と
決まったわけではないので。
アパート大家さんものと言えば、「大家さんとぼく」が昨今では有名だが、
私は作者のお笑い芸人には、全く関心も共感も得られないので、
その図書の内容は知らないが、この二冊はネットの書評では
よく引き合いに出されて評されているようだ。
まず、お金に不自由していない雪子さんは「一人で死んでいて、
何日も発見されずにいないように」という魂胆で、アパート住民
(下宿人と雪子さんは思っている)大学生の薫(男)と
少々変わり者のOL小野田さんと、サロンと称する
雪子さん自室で食事会を催す。そしてポチ袋に
「若者支援援助金」みたいな意味合いを含めて、お小遣いを
渡す。食事会へのお誘いは郵便受けへ手紙を入れる。
これない時には、出前と称して食事を運ぶ。
最近、読む本、読む本、批判感が先に立つのだが・・・
余計なお節介のし過ぎ、干渉し過ぎにうんざりする薫は小野田さんにも
干渉し過ぎにうんざりしてアパートを超す。
私は、年齢的には雪子さんと近いのだが、例え、お金があっても
自分の死を発見してもらう為に食事やポチ袋お小遣いで若者を援助する
なんていう行為は最も、忌み嫌うことで、しない。
干渉されることを何よりも嫌う。
この作品は2017年芥川賞候補、2018年野間文芸新人賞候補になっている。
映画では雪子さん役は吉行和子が演じるのは、イメージは合っていると
思うけど、原作とは視点を異にしているらしいが、期待はしないけど、
多分、絶対観るな~
「風化する女」は雪子さんの前話のような作品で2006年文學界新人賞受賞。
「月食の日」で第139回芥川賞候補。あと一歩の処で受賞は逃しているが
実力のある作家なのだ。他、二冊も図書館に予約中。
昨日4時頃図書館へ返却に出向き、本町通りの温度計は39度を表示していた。
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【スマホが起こす「自分病」って何?】を読む



和田秀樹 新講社 図書館本 を読む。

ガラ系の携帯からスマホへと機種変更した人が山仲間に1,2人いた頃には

声を大にして、私はパソコンがあれば、携帯は電話とメール機能で充分だと

豪語していた。

ところが、山に同行した仲間からスマホの様々な機能を現場(山で)で

見せてもらうと3日後にはスマホへと機種変更した。地図アプリや、

GPS機能等々、それらは単独で山歩きをしていた身としては、

大変便利な機能として甘受した。

が、一向に馴染まなかったのは「LINE」だったのだが、一部の友人には

便利に活用している。

現在の仕事の前に就いた仕事では同期の数人でLINEのグループ登録を

余儀なくされた。

仕事中でもトイレからでも発信するのか、呟きや、お知らせが入った。

少々、面倒くさいな~~と思っていたが、仕事を離れると同時に離れた。


プロローグ:「自分病」って何?

第1章:友情か、儀式化した人間関係か

第2章:なぜスマホは依存症になりやすいのか

第3章:「合わせなくちゃ」にしばられる人間関係

第4章:ネットの人間関係が失うもの

第5章:家族を「自分病」から守ろう

第6章:困ったときだけ、スマホに頼ってみたら・・・

エピローグ:自分が見つけた世界がいちばん楽しい

現在40分程乗車のバス通勤をしている。

隙間時間の継続でサクサクと読書を楽しんでいるが、

ほとんで、若者も、20代、30代、更に中高年齢の男女問わず、

殆どがスマホに眼を落している。

単独以外でも、恋人、夫婦、親子で、それぞれ向き合いつつスマホを

操作している風景は日常茶飯事だ。

インターネット、ショッピングに限らず、eーTaxもスマホでできる

世の中なので、一概に害悪だけを並べて避けるのではなく、

使い方の制御をするべきなのだろう。

一旦走り出した便利な機能は、元に戻ることはないので、

使い方で自分を制御することが必須なのだ。

【ことり】を読む

「ことり」 小川洋子著 朝日文庫

平成24年度 芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)受賞

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人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを
理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。
二人は支えあってひっそりと生きていく。
やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と
人々に呼ばれて・・・・。
慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、
著者会心の作

取り合えず購入して本棚に収まったままになっていた。

自分が日々、疲弊している時には、メッセージが柔らかな世界に

浸りたいと思う。

そうした雰囲気は十分に浸ることが出来た。

現実問題として、想像できるような、かと言って、有り得ないよね!

とも思えるような小川洋子さんの「様々な境遇の人へ向けた」柔らかい眼差しを

感じる。

通勤の往復のバスで、お昼を食べ終わった後の僅かな時間だけが

今の処の「私の読書時間」だ。昼休みは幾つかの「仲良しグループ」で

お話したり、そうしたグループに属さない人は、

机にうつ伏して仮眠したり・・・

私のように本を読んでいると「〇〇さんは、本が好きなのですね!」

と声掛けられて「お薦めの本はありますか?」と聞かれる。

そんな時に「ことり」を薦めた。

兄が言ってみれば、人間の言葉を話せない、理解できない。

それは「障害」であるのだが、家族はそっと見守るだけだ。

小鳥と会話でき、小鳥の話すことは理解できる兄を

弟は理解できる。弟は兄の意志を継ぐかのように小鳥と接する人生を送る。

現代の「おとぎ話」のような世界だ。「普通」に生きている人間が冷たく、

詰まらなく思えてくる。

【むらさきのスカートの女】を読む

BIGLOBEのブログ作成の方法がリニューアルして、私のような高齢者には

慣れるには月日が掛かる。掛かるというか、慣れない。

慣れない現実は、私の周辺で多くあり、それらと向かい合うことで

日常が「疲弊」している。

でも、ブログは、私の唯一の発信手段であるので、ボチボチと継続していく。

仕事の場は、一旦逃げた場とは違う、別の意味で疲弊していく感情から

逃れられない。

そんな日常の時間の隙間で唯一の慰みは「本を読むこと」だ。

【第161回 芥川賞受賞作】むらさきのスカートの女



随分前に「こちらあみ子」を読んだ。

一風変わった雰囲気は好きになったのだが、月日が経つと詳細は忘れている。


芥川賞受賞というけれど、正直、少し失望した。

読書メーター(書評)でも、多くの方が書いているが、

「わたし」と「むらさきのスカートの女」が実は、

「わたし」の妄想人物ではないのか?

同一人物ではないのか?

そして、ラストは又、雑で終わってしまう。

読者に見破られないように、いきなり読者は放り出された感が強い。

もっとも、作者は手の内を全て曝け出す必要はないのであって、

読者は薄々覚悟していた。

とは言え、放り出されると少し、ムッとする。

でも、放り出された読者は(私は)今村夏子を再確認する為に

ちくま文庫を購入してしまった。