【「マチネの終りに」を読む&そしてレタスを食べる】

画像「マチネの終りに」 平野啓一郎 毎日新聞社  図書館より
平野啓一郎の作品は何となく、手が伸びずにいたのだが、
昨年8月に「決壊」を読んだ。本のタイトルに惹かれて読んだ。
発売当初「マチネの終わりに」は図書館に予約した時には、
数十人待ちだったので、一旦予約をキャンセルした。
恋愛作品と謳っている作品なので、見送っていた。
図書館のいつもの有りようで、しばらくしてほとばりが
覚めたので平野氏自身がメディアで語ることとか、
エッセイなど読んで先入観念が取り払われて、
映画化もされるので読んでみた。
もう既に、多くの媒体で感想やコメントなどが出ているが
私には、読み進むのには、難儀な面が多々あった。
「音楽⇒ギター」「40代男女の恋」「イラク戦争」
「戦地への取材ジャーナリスト⇒PTSD]
「映画⇒映画音楽」「キリスト教⇒ルカによる福音書」
「《ヴェニスに死す》症候群」「叶わぬ恋⇒嘘により恋を得る」
以上、この物語の起承転結に係るキーワードを並べてみた。
私の個人的なことで言うと若い頃と違って、400頁を超える
長さだと読み進む内に当初の筋が飛んでしまう!
なので、引用や参考箇所など付箋を貼ったり、メモしながら
読み進まなければならない。
【物語概要】
2006年 蒔野聡史は38歳 デビュー20年 サントリーホールでコンサート
18歳で、国際ギターコンクールで優勝
コンサート終了後にフランス通信社の是永慶子と一緒に小峰洋子に会う。
聡史と洋子は此処で、お互いに惹かれあう。この惹かれあう気持はその後も二人を引き摺る。
聡史は自分の世話をするマネージャーの三谷早苗が自分を好いているとは気づかない。
洋子にはフィアンセが外国にいる。
洋子は聡史の奏でる演奏が好きなのか?聡史自身が好きなのか?両方に自分は惹かれている!
聡史と洋子二人にはそれぞれが見舞われる「病」がある。
洋子は戦地イラクでの取材の最中に一瞬の差で命を救われるが重いPTSDになる。
聡史は「手足口病」になる。
「ヴェニスに死す症候群」という症状も出てくるがこれは平野氏がつくったもので
「ヴェニスに死す」の中で主人公アシェンバッハが「中高年になって、現実社会への適応に
嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破壊的な行動に出る」とある。
此処では、作品で登場する世界的な映画監督、その映画音楽、それは筆者が創りだしたもの。
実際にコンサートで演奏される曲、それは実際にある曲。
聡史と洋子、そして彼ら、彼女らを取り巻く人々、日本、イラク、パリ、ニューヨークと舞台も多岐に
渡るシチュエーション。洋子の婚約者、婚約破棄、結婚、そして離婚
それが縦糸なら横糸には聡史の身を襲う音楽家としての休止、それを克服する過程での
早苗の裏切りを知らないまま結婚、ギターの師、祖父江の病・・・
洋子も男児が生まれ、早苗には女児が生まれる。
縦糸、横糸が網目を間違えたままだが、時間の経過と共に、聡史、洋子、洋子の夫、早苗と
それぞれの隠されていた自分にとっての「真実」が露わになる時は・・・
ラストで読者は後味の悪い場に投げ出される感じに苛まれる。
それは聡史の復活コンサートで、洋子が聴きに来ていた。この演奏が終われば、
聡史は洋子を認識し、洋子は一心に舞台の聡史を注視する。
この演奏が終われば、二人は向かいあい、今度こそ、二人で歩いて行けるのか?
早苗は自分の犯した罪の自責の念から聡史とは自ら離れるのか?
【新約聖書: ルカによる福音書 第10章38-42節】
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎い入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言葉に聞き入っていた。ところが、マルタは接待にことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った。「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください。」
 王は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り坂り去ってはならないものである」。
 
聖書の引用は330頁に引用されていて、これは美しい洋子は黙して傍らにいるだけで聡史の愛を受ける。
早苗は聡史の為に仕事の枠を超えて好いているのに、聡史は気づかない。
この二人の女の立ち位置をマリアとマルタに置き換えて筆者は語りたかったのではないか?
勿論、聡史は神ではないし、早苗はマルタでもなく、洋子はマリアでもない。
「美しい大人の恋愛」「感動して涙した」とかの書評が並ぶ中、この作品は筆者の思惑とは離れるかも
しれないが、私は単純に洋子と聡史二人に感情を流入できない。
148頁には洋子の家で聡史とかくまっているイラク難民のジャリーラとの3人で一晩を過ごしたのだが
洋子がベッドルームで「井上 光晴「明日  1945年八月八日 長崎」を見ていて、それを聡史が洋子が
部屋を出た後にその本を手にした。その本に関して聡史は洋子に尋ねることはなかった。
というような僅か二行の文章なのだが、何故、この本を洋子が愛読(していたと推測)していたのか?
この「明日」は長崎に原爆が落とされる前日の一日を平凡な幸せに享受されている人々の暮らしを
書いたものなのだ。1988年黒木和雄監督桃井かおり主演で映画化されている。
世の中の一般的な書評は必ずしも、自分の核心に触れるとは限らない。
後半、病から脱出した聡史は旧知のギタリスト武知と一緒に演奏ツァーに出掛ける。
349頁~では
武知は実は自分は聡史がずっと嫌いだった。それは自分が聡史の才能に嫉妬しているが故だと。
本番前でも余裕のようにカルペン・ティエル「失われた足跡」を読んでいられるから。
277頁
JAYZ&アリアス・キーズ「エンパイヤ・ステイト・オブ・マインド」
2009年 ノーベル文学賞受賞  ヘルタ・ミュラーの書評を洋子が書く。
外国の音楽、演奏家、作家等々引用が沢山あって、そこには創造と実物とがあり、
本当は素通りし難いのだが、小説を読むという行動を完遂するには後回しにするしかない・・・
これらは平野氏の愛して止まない物たちなのだろうか?
1頁も読めない日もあったが、10日で読み終えた。
今日、これから眼科へ行き手術をする。片眼だけなのだが、しばらく難しい本はお預けだ。
画像画像
丸ごとレタスの最後 冷凍庫、冷蔵庫の残り野菜の鍋            梅酒を買ってみた

マチネの終わりに
毎日新聞出版
2016-04-08
平野 啓一郎

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明日 一九四五年八月八日・長崎 (集英社文庫)
集英社
井上 光晴

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